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2018年度【塾長の新年挨拶】

【塾長の新年挨拶】

おかげさまで2017年度は80大学以上の学生さんを指導させて頂きました。振り返ってみれば、様々なことがありました。2014年には育英会から優秀賞を頂いたり、2015年にはレアルマドリードスクールの協賛や他の団体の活動の協賛、大学イノベーション研究所という大学向けのコンサルティング会社の運営参画など学習支援以外のことも数多く行ってきました。

 

新年の挨拶ということで何を書こうか迷いましたが、今回は、原点に戻り、「なぜ、自分が猫の手ゼミナールを作ったのか?」という話をしていきたいと思います。

 

【原点への振り返り】

 

キッカケは、10年以上も前のことです。

当時、18歳の冬、医学部への進学を控えていた。私立の医学部への推薦での進学が決まっていた状態だった。

 

ある日、父の部屋から変な物音が聞こえた。

まるで、大工の工事の音のような音だった。日曜大工の好きな父であったので、最初は日曜大工をしていると思った。

 

しかし、不自然に断片的な音だったので、不審に思って部屋をのぞいてみると父が部屋で倒れていた。

今でも鮮明に覚えている。この後、父は病院に搬送されたが、そのまま他界した。後から分かったことだが、脳出血であった。

 

この出来事が自分の人生を変えることになるとは思っていなかった。
その後、僕は進学を断念し、コックになった。

 

それから数年が過ぎた。
自分は荒んでいたのだと思う。物事が上手くいかず、失敗の連続だった。
なぜ、自分は、ここにいるのだろう。本当は、こんなはずではなかったのに。
そんなことばかり考えていた。

 

ある雨の日。いつもの通りにお店に行った。湿った空気であった。
そして、まずは、更衣室でコックのスーツに着替えなければいけない。
慣れた手つきでコックスーツを着る。
しかし、着た瞬間に、何か違和感を感じる。服の中で何かが動いていた。

 

何かが動いているのだ。

 

服の中から、「彼がでてきた」。

 

もぞもぞと動く彼だ。黒い、漆黒の彼だ。

 

「そう、ゴキブリだ。」

 

鳥肌という言葉がある。人の肌が本当に鳥の肌のようになるとは思わなかった。
このままの自分ではいけない。猛烈にそう感じた。

 

 

「この瞬間、僕は、自分を変えようと思った。」

 

 

方法は分からなかった。でも、今のままでは良くないとは分かっていた。
できることをやるしかなかった。もう一度、やり直そうと思った。

 

この日から、仕事から帰り、夜中に勉強をし、また、仕事に行くという日が続いた。
そして、ある大学に特待生として、入学した。

 

これで終われば美談で終わる。しかし、現実には続きがある。

 

決して、優秀な大学ではなかった。ただ、それでも、自分は何かを変えていかなければならないという思いから進学した。大学に幻想を抱いていたのは間違いない。

 

今でも覚えている。大学での最初の授業。数学であった。

 

教室には120人の生徒がいた。自分は前から4列目に座った。
授業が開始した。愕然とした、先生の声が聞こえないのだ。前の方に座っているのに。

 

先生が黒板の前で、自分の世界に入っていた。
周りの生徒も皆、愕然としていた。
授業の終了後、「授業が全然、分からなかった」と、ある女の子が泣いていた。
次の日から、この子を見かけなくなった。
(この大学の名誉のためにいっておくが、その先生は3年後には解雇されていた。)

 

大学は何のためにあるのだろう?

 

それからの自分の活動は、衝動的であった。

 

まずは、この数学の授業の専用教材を作った。
大学の教科書には解説のないものが多い。この数学も解説がなかった。
解説のない教科書を、どう使うのか?
独学で学習するにもできない状態であった。
手書きだと他の人が使えないのでデータにした。
半年、かかった。数式の打ち込みが、こんなにも大変だとは思わなかった。この教材は、今でも大学の教育支援センターで利用されているそうだ。

 

「大学は教育機関なのか?」この部分は難しい問題である。
大学とは【研究機関】であると主張する人もいるし、【教育機関】であると考える人もいる。どちらが正しいというつもりはない。

 

ただ、事実として、自分の前には、最初の授業で涙を流して大学に来なくなってしまった女の子がいた。彼女は今頃、どうしているだろうか?

 

数年後に自分は大学生向けの学習塾を起業した。
根底は、変わらなかった。大学の教育制度を変えようとか。何かの変革をしようなどと大それたことは考えていない。ただ、大学に入学して、授業が分からず、無力感に打ちのめされた時に、

 

「少し待って。そこで諦めないで。頑張れば何とかなるかもしれない。」

 

そう伝えたかっただけなんだと思う。

どんなに会社が大きくなっても、その時の気持ちは忘れないでいたと思う。

 

ただ、あの時の、あの女の子のために、自分は起業したのかもしれない。

 

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